ナチスの強制収容所を体験した心理学者ヴィクトール・フランクルの著作「夜と霧」は名著だ。すべてのページに魂を撃ち抜く重い言葉が詰まっている。
この人の本で一番印象に残るのはクリスマスのエピソードだろう。クリスマスには開放されるのではないかという期待が高まる。裏切られる。「人生に期待するものは何もなくなった。」そうではない。「人生に期待されているのだ」
私たちは人生に問われている存在。
どんな状況においても魂からの答えには意味がある。
だからイエスと言えるのだ。
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「人間は決して目的のための手段にされてはいけない」カント
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強制収容所→「生産的」ではなくなった生命はすべて文字通り「生きる価値」がないとみなされた
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「実存」とは、まさしく決断に他ならない
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人間は「楽しみのために生きているのではない
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「私は眠り夢を見る。生きることが喜びだったらと。私は目覚め気づく、生きることは義務だと 私は働くーするとごらん、義務は喜びだった。」タゴール
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喜びとはおのずと湧くもの、幸せとは義務を果たした結果
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「私は人生にまだ何を期待できるか」と問うことはありません。いまではもう「人生に私は何を期待しているのかを問うだけ」
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私たちは問われている存在なのです。
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人生が出す問いは瞬間瞬間、その人その人によって、まったく違っています→具体的
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何の道徳もなく食べることがどれほそ無意味か
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私たちはさまざまなやり方で、人生を意味のあるものにできます。活動することによって、また愛することによって、そして最後に苦悩することによって。
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「何かを行うこと、何かに耐えることのどちらかで高められない事態はない」ゲーテ
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それが可能なら運命を変える。それが不可避なら進んで運命を引き受ける、そのどちらかなのです。
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私たちの存在がまさに責任存在であるという裏には死があるのです→無限に時間があったら明日やるのも2000年後にやるのも同じ
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1日1日、一瞬一瞬が一回きりだということも人生におそろしくもすばらしい責任の重みを負わせているのです。
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「あたかも二度目の人生を送っていて、一度目はちょうど今、君がしようとしているように、全て間違ったことをしたかのように生きよ」
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私たちのさまざまなあり方は不完全であるからこそ、唯一のものになる。
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万能細胞→分化して一つの機能→完全な能力の代わりに、代理不可能な機能を手に入れる
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「もし私がそれをしなければ、誰がするのだろうか。しかし、もし私が自分のためにだけそれをするなら私は何であろうか。そして、もし私が今しなければ、いつするのだろうか」Hillel
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「人生それ自体がなにかであるのではなく、人生は何かをする機会である」Hebble
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成功とは外面的なものと考えるとすべての人が失敗者となる。内面的な成功とは、生きる意味を内面的に実現するということです→確実に到達されたもの
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トルストイ「イワン・イリッチの死」これまでの人生がむだであったことを体験することで、彼の全生涯が清められ、意味のあるものになる
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愛することによって、自分が愛する人がまさに唯一であり世界でただひとりだということに気づくということが愛の本質なのです。
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「死を自分のものにする」リルケ
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おそろしいのは、瞬間ごとに次の瞬間に対して責任があることを知ることです。すばらしいのは将来がほんのわずかではあっても瞬間ごとの自分の決断にかかっていることを知ることです。
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人間はあらゆることにかかわらず、困難と死にかかわらず(第一講演)病気にもかかわらず(第二講演)強制収容所の運命にもかかわらず人生にイエスということができるのです。
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