誰の人生であろうとも、まぎれもなく「永遠の一瞬」と呼ぶべき作品にほかなりません。そして、それらの人々が縁あって集い、互いに支えあいながら精一杯に成長していく歩みもまた、「永遠の一瞬」と呼ぶべき作品にほかなりません。
人生を変えた本という意味であれば、間違いなくこの本は人生を変えた本に値いする。
著者・田坂広志氏を知ったのは2000年代の前半であった。新自由主義が席巻していた頃で代表的な経済学者であった中谷巌氏との共著「若きサムライたちへ」を手にとったのがきっかけだった。中谷巌氏はリーマンショック後、その立場を180度転向し、世間の失笑を買ったのだが、彼のおかげで田坂氏の気迫あふれる著作と出会えたことは幸運であった。彼の本は語りである。のちにPodcast, Youtubeなどで直接の語り口を聞く機会を得たが書籍は講演のようであり、あたかも著者の息遣いが聞こえるようであった。
その後、私は人前で話をする機会を多く得、それを生業としているのだが、彼の講演は非常に参考になった。とにかく引き込まれるのだ。語り口に魅了されるうちに違うレベルの思考に導かれ、いつも間にか涙を流しながら本を読み終える。氏の書籍を読み進めるうちに理解しはじめたのだが、彼の仕事の仕方が人の心をどれだけ動かせるかという一点に焦点を合わせていることに気づいた。
・仕事の報酬は成長である
・相手の「こころ」と正対する
・ヤマアラシのジレンマ
記憶に残るフレーズがいくつもあり、心に深く突き刺さった。その中でも自分の人生を「永遠の一瞬」と見、そしてその「永遠の一瞬」を共有する職場と仲間もまた「永遠の一瞬」という作品であるという言葉に接したとき胸が熱くなった。
ナンバーワンになれなかった野心家はオンリーワンを目指す。そして人からの評価にできるかぎり無反応であることでその身を守る。自然、職場の仲間への関心も薄れがちになる。この言葉に接したとき、不完全なもの同士が集い、そして何か高い目標に挑戦する。そこに不格好ながら健気に生きる人間のせつなさと美しさがにじみでているような気がした。
自分の人生を「作品」として見ること。そしてその作品の登場人物は一人ではない。そのことをこの本から学ばせて頂いた。
一人ひとり、登っていく道は違っても、めざす頂は、ひとつだからです。いつか、その頂上で、再会する。そのことを信じ、私は登り続けていくだけです。
宇宙の歴史や地球の歴史、そして人類の歴史に比べれば、ほんの「一瞬」に過ぎないほどの短い時間のなかで、精一杯にいのちを燃やして生きていく人々。それらの人々の人生は、誰の人生であろうとも、まぎれもなく「永遠の一瞬」と呼ぶべき作品にほかなりません。そして、それらの人々が縁あって集い、互いに支えあいながら精一杯に成長していく歩みもまた、「永遠の一瞬」と呼ぶべき作品にほかなりません。だから、私たちは、仕事に取り組むとき、もう一つの作品を忘れてはならないのです。私たちの歩みが残す「職場の仲間」という作品を、決して忘れてはならないのです。
たとえ自分が、その夢を実現できなくとも、いつか誰かが、その夢を実現する。夢が破れるということを、決して恐れる必要はない。
本気で夢の実現を信じ、力を尽くして歩むこと。私たちが恐れるべきは、「力を尽くさぬ」ということなのです。
私たちは、夢が破れることを恐れる必要はない。
それを恐れることなく、大きな夢を描けばよい。
その夢の実現を、こころの底から信じればよい。
そして、力を尽くして歩めばよい。
そして、力を尽くして歩んだあと、
私たちがなすべきことは、ただひとつ。
未来に思いを馳せることです。
我々が去った後、いかなる夢が花開くか。
その問いを胸に、未来に思いを馳せることです。
そして、力を尽くして歩み、未来に思いを馳せるとき、
私たちのなかには、祈りのごとき覚悟がやってくる。
我々は、後生を待ちて、今日の務めを果たすだろう。
その覚悟が、静かにやってくるのです。
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