今から30年前、僕が中学生だった頃、ベットに寝っ転がりながら、この本を読んだ。内村鑑三著「後世への最大遺物・デンマルク国の話」。講演の速記録なので、明治の本でありながら、不思議なくらいスムーズに読めた。無教会派のクリスチャンという無頼な肩書きを持つ著者の言葉には恐れはない。一般的な人生論を語りながら、自らの気概あふれる信念を解き放つ。当時、彼はいわゆる「不敬事件」という国旗への敬礼を拒む事件を起こし、一高教師を首になり、失業していたはずなのだが、悲劇の影は微塵もない。それどころか自らを「破壊党」と呼び、不敵な笑みを浮かべ人生を語る。客観的な事実が羅列された彼の年譜からは読み取りえない挑戦者の「熱」が行間に漂っている。
「この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは少しなりともよくして逝こうじゃないか」
自分が何者であるかを知らなかった当時の僕に響いた言葉がこれだった。
ハーシェルという科学者が友人に語った言葉だという。
この本の冒頭部分で紹介され誰にも引用されないような一言だが、僕の心の隙間を通り抜け、今だに深く突き刺さっている。
この小さな世界で自分の居場所を確保しようと必死に自己アピールをしていた時だった。
今になってみれば、勉強もスポーツも趣味も本当に好きだったわけではない。
それをしなければ、この世界で居場所を失う恐怖に支配されていたのだと思う。
それがどれだけ「小さなこと」かを著者は教えてくれた。
キリスト者である内村にとって、この世は天国への予備校にすぎない。
宗教というものが与える一段大きな世界観に、僕の小さな悩みが包み込まれたのだ。
誰かに認められるためではなく、
誰かに愛されるためでもなく、
僕の時間を使ってこの世界をどれほど良いものにできるかに賭ける。
一切のしがらみから解き放たれた圧倒的な自由が手に入った気がした。
もし私に家族の関係がなかったならば私にも大事業ができたであろう、
あるいはもし私に金があって大学を卒業し欧米へ行って知識を磨いてきたならば私にも大事業ができたであろう、
もし私に良い友人があったならば大事業ができたであろう、
こういう考えは人々に実際起る考えであります。
しかれども種々の不幸に打ち勝つことによって大事業というものができる、それが大事業であります。
それゆえにわれわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔のあるのはもっとも愉快なことであります。邪魔があればあるほどわれわれの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。とにかく反対があればあるほど面白い。
われわれに友達がない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。
われわれが神の恩恵を享け、われわれの信仰によってこれらの不足に打ち勝つことができれば、われわれは非常な事業を遺すものである。われわれが熱心をもってこれに勝てば勝つほど、後世への遺物が大きくなる。
生まれて来た時よりもこの世界は美しくなったか。
この言葉を出発点に、この世界を燃え上がらせる熱い言葉を集めて行こうと思う。
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