「本当に大切だと思うものであれば、時間をかけ、深く考え、計画を立て、優先させなければならない。」
「7つの習慣」という今ではほぼ古典となった本が出たのは1996年頃、日本もバブルの反省で、「原理原則に戻らなければ」と説くこの本に共鳴する人が続出してベストセラーになった。
残念ながら、私はその時のブームには乗れず、3年後に続編のファミリーが出版されたとき上下二分冊にかかわらず大きな影響を受けた。
愛は動詞である。「愛という気持ち」は「愛するという行動」の結果にすぎない。
という言葉が示すように、この本は考え方を示すだけではない。行動を要請する。いやそれ以上に「原理原則に基づいた行動を習慣にする」ことを要求するのだ。
ちなみに7つの習慣とは
第一の習慣:主体的である
第二の習慣:終わりを思い描くことから始める
第三の習慣:最優先事項を優先する
第四の習慣:Win-Winを考える
第五の習慣:まず理解に徹し、そして理解される
第六の習慣:シナジーを創り出す
第七の習慣:刃を砥ぐ
第8の習慣という本も出た気がするので、個別の項目に深くは立ちいるつもりがないが自分で熱いと思える言葉を抜き書きしようと思う。
・幸せな家族というものは偶然にできるものではない→本当に大切だと思うものであれば、時間をかけ、深く考え、計画を立て、優先させなければならない。
・「親の仕事」というものは、基本的には大きな犠牲を払うもの→「弱い人は母になれない」
・我々の行動は、ほとんどの場合、自分の定めた針路から外れている、しかし、それがどうしたというのだ→ビジョンと計画さえ持っていれば、いつでも軌道修正を図ることができる。
・誰もあなたの状況を完全に理解することはできないし、ある程度分かってくれていると感じるまで、ほかの人のアドバイスなどは聞きたくないだろう→その家族独自の課題があり、状況がある。
・「ビジョンはどんな荷物にも優る」→ ジグソーパズル→最終的なイメージを持っていることがどれほど大切なことか
・ 重要で継続的な変化はすべて「インサイド・アウト」から来るものである。
・ 「原則に従っている生活することは、とても大変だ。しかし、これらを無視して生活することはもっと大変なことだ」
・ あなたほどあなたの家族の状況を知っている人はいない。操縦席にいるのはあなたなのだ。
・ 相手を正したい気持ちではなく、謙虚に自分が学んでいることをほかの人と分かち合おうとするとき、ほかの人はあなたに貼り付けているラベルを解除し、あなたの成長を認め、支持してくれるようになる。
・ 忍耐とは己を信じて行動し続けることである。愛情を抱いて耐え忍ぶとき、自分自身のことをもっと深く理解できるようになる。
・ 刺激と反応の間にはスペースがある。そのスペースには、私たちの反応を選択する自由がある。そして、私たちの反応には私たちの成長と自由がある。
・ 「一時停止ボタン」を持つこと
・ 幸福とは、今欲しいことを犠牲にして、本当にほしいものを手に入れること
→復習したい、自己を正当化したい、相手に勝ちたいという衝動を乗り越えて→長期的な幸福を選ぶ
・ 動物には刺激と反応の間にはスペースはない→ 「人間は高度な動物にすぎない」遺伝と環境の産物→この前提でいけば、ガンジー、マザー・テレサ、が到達した素晴らしい人格の高さをとても説明できない。
・ 愛は動詞である。「愛という気持ち」は「愛するという行動」の結果にすぎない
・ 短期的に見ると関係を修復するより絶縁したほうが簡単に思えても、長期的で捉えてみると、その関係を癒したほうがはるかに簡単なのだ。
・ 愛する行為は義務ではない。愛することを選ぶということなのだ
・ 成功する結婚、成功する家族というものには努力が必要である。
・ 関心の輪と影響の輪→反応的な人は他人の欠点や周りの環境など自分のコントロールできない(関心の輪) に集中し、影響の輪を小さくしていってしまう→主体的な人は、自分のコントロールできる事柄(影響の輪)に努力と時間を集中させ、 影響の輪を拡大していく
・ 影響の輪(自分がコントロールできる事柄)に行動を集中すれば、その範囲は必ず広がる
・ 「信頼残高を築く」→主体的に行動し、信頼を築くような行為をすることで、「預け入れ」をし、信頼を低める反応的な行為をした時、「引き出し」になる
→「不渡り」を出している状態ではどんなことを言っても通じない。
・ 人間関係において小さなことは大きなことである。
・ ほかの人を「許す」ことができるようになるまで、あなたは被害者であり続けるしかないのである→ 本当の意味で許すということは、信頼と無条件の愛が流れる血管を作り出すことである。それによって自分の心を清めることにもなる。
・ 我々は毒蛇に噛まれて死ぬのではない。仕返しをしようとして、その蛇を追いかけることによってその毒が心臓にまで達するのだ。
・ 裁き、拒否し、操ろうとするとき、相手よりも自分自身の思い描く目的を愛している。条件つきで愛を示す。つまり相手を操り、コントロールするための凶器として自分の愛情を使うのである→相手は操られまいとかたくなになる。
・ ほんとうの愛情とは、その人の本来持っている価値を肯定することであり、相手の気持ちや感情を認めることである。必要以上に自らの立場を守ろうとしたり、弁護したりす る必要から相手を解放してあげることになる。 →自分を守ろうとするエネルギーの代わりに自分の良心を見つめ、成長し、自分の可能性を具体化することに集中することができるようになる。
・ その人自身とその人の行動とは違うものである。
・ 現在の姿を見て接すれば、人は現在のままだろう。あるべき姿を見て接っすれば、人は有るべき姿に成長していくだろう ゲーテ
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